モリモリ!アメリカ大学院留学奮闘記!

30過ぎて奨学金(借金)背負い、大学院留学! 飛び込む先はアメリカで犯罪発生率No.1のミズーリ州で始まる教師と院生の二刀流生活。 笑って泣いて怒って全力でぶつかってきます!

孤高のアラサー丁(てい)が新天地アメリカで教師と大学院生同時進行で奮闘するブログ

ジルのこと③


苦手なのはお風呂で、力の強いジルを上手におふろに入れられるのはわたしだけでした。嫌がって震えるジルに、「今日の夜いっしょにねん子する人ー?」と聞くと、それでも弱弱しくペロをしてくれました。お風呂に入った日は私と一緒に寝られるやくそくだったのです。ジルはそれをよく理解していて、お風呂の夜は絶対わたしから目を離さず、少しでも寝るそぶりを見せると真っ先に寝室に走っていきました。そして私のうでまくらで、おなかに鼻を擦り付けるのです。そんな時に家族が迎えに来ても、絶対動かずに気配を消していないふりをする。一緒に寝たがってくれていました。暑がりのジルは夜中布団の上に移動してしまいます。それでも明け方になると、「さむいでしょ、はいっておいで」の合図で潜ってきます。
おもちゃを手作りしていると絶対に気づいてそばから離れなかったジル。
泣いている時、疲れ切ってふて寝している時、そばにいてくれたジル。

「ジルちゃんは私のジルちゃんだよ!ずっといっしょだよ!」そう言いながら自分の生活にばかりかかり切りになった自分本位な私。一人暮らしをした時も、ジルちゃんを一瞬連れて行ったはいいものの、残業ばかりで一人さみしい思いをさせた私。やっと実家に戻っても、留学準備でほとんど家にいなかった私。留学に出る時には、「ジルちゃんは元気だから、マグのことをよろしくね」なんて言ってしまった私。
留学前のジルは、本当に元気でした。気づかなかっただけかもしれませんが。ジルは本当に我慢強い子だったので。
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病気についての回でまた詳しく記載しますが、獣医の「歳の割にものすごく元気、健康ですよ!」に盲目になっていた自分がいました。半分言い訳ですね。なんでもっと自分でアンテナを張っていられなかったんだろうと思います。

3月に帰国した際、ジルが私のことを覚えていないことに気づきました。いや、覚えていたのかもしれません。度重なる身勝手に嫌気がさしていたのかもしれません。あとは何より、病気で苦しかったのだと思います。毎朝私がリビングに顔を出すたびに大喜びで迎えてくれた子はそこにはいませんでした。寄ってこない。呼んでもこない。撫でると逃げる。いつも私の行動を不安そうに監視している。そんな様子でした。

最後の半年間、ジルが私のことを覚えていてくれたのか、好きでいてくれたのか、正直はっきりとはわかりません。認知症らしい症状は出ていましたし、病気もありました。そしてなにより、ジルに嫌われても仕方ない私でした。それでも、「ちゅーして」というと、よわよわしくても、ペロ、としてくれたのです。歯磨きも強制給餌も受け入れて、最後の最後までわたしのわがままに付き合ってくれました。最後の最後まで家族思いな子でした。
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体温の高かったジル。ヨーキーらしく決して万人受けするいい匂いではありませんでしたが、大好きな匂いでした。
アメリカに居ると犬のいない生活に慣れすぎて、ジルが本当にいないのだとうまく実感できないです。リビングに出たくなると、ハムスターのようにケージを鳴らしたジル。散歩の最後には絶対に庭にいくんだ、って頑張ったジル。病院が大嫌いで、いつもブルブル震えてしがみついてきたジル。

去年、アメリカに来る前までのジルの写真を見ると、好き好きビームでめまいがします。罪悪感が沸きます。そのくせ、一時帰国してからのジルを見ると、愛おしいと同時にものすごく寂しくなるのです。
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最後にジルと約束しました。
苦しくなる前にだよ。本当に苦しくてもういやだ、ってなる前に、さよならするんだよ。
もういいや、って思ったら、みんなのことは考えないでいいから、さよならするんだよ。
もしできたら、その時に教えに来てほしい。
もしその時にひとりで寂しかったら、わたしを連れて行っていいから。(賛否両論あるとは思いますが、望むならジルに対して私にできる罪滅ぼしはこのくらいしかなかったのです)
もし、もしも、また会いに来てもいいって思えたら、会いに来てほしい。
いつだって大歓迎だよ。
そしてもし、万が一、気が向いたら、また一緒に暮らしてほしい。


ジルは、最初のお願い事をしっかりきいてくれました。そして、教えにも来てくれたのだと思っています。
本当にいい子でした。
今も会いたくてたまりません。

ジルの病気については、何回かに分けて詳しく書いていきたいです。
もしも同じ病気に悩む飼い主さんの力に少しでもなるのなら、願ってもないことです。






ジルのこと

ジルは、14歳9か月のヨークシャーテリアでした。




でした、と過去形で書いた通り、今はきっと空の上、痛みも苦しみもなくおいしいもの食べ放題、おもちゃ追いかけ放題の楽園にいます。

末期の腎不全が発覚したのが今年、2020年6月末のこと。そして2か月ほどの闘病生活(こう書くとたったの2か月なのですね)の後、日本時間8月31日の夜に実家の家族に見守られて眠るように息を引き取りました。
ちょうど1週間が経ちました。
アメリカに居るわたしは最後の1か月近くを一緒に過ごすことができず、苦しむジルや介護で大変な家族の力になることもできずじまいでした。旅立った後のジルや火葬前後、骨壺に入った姿を写真では見るものの、実感があるのかないのか、自分でもよくわからない状態にあります。
じぶんの心の整理のためにも、ジルとの思い出や病気についてを書いていきたいと思います。



ジルがうちに来たのは、2006年のことでした。恥ずかしながらはっきりした月を覚えていません。夏か秋だったように思います。当時の私は高校卒業したものの進学はせず、地元の学習塾で働き始めていました。初めての犬、ヨークシャーテリアのマグを3月に迎えたばかりの私はその可愛さに虜になり、マグの子どもが欲しいと思うようになりました。
ジルを見つけたのは、ヤフーオークションだったかと思います。
今思うとそんな媒体で生体販売が行われていて、自分もそれを利用したことが悔やまれます。
(もちろんジルに会えたことを悔やむ気持ちは一切ありませんが。)

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うちに来てしばらくたってからのジル。初めて&最後のドッグラン。ジルはずっと怯え、マグはずっと他にケンカを売っていました…


子犬として販売するには大きすぎるヨークシャーテリアが売りに出されていました。父親はチャンピオン、母親もチャンピオン直子。血統は抜群でしたが、なぜだか手放すというブリーダー。そんなこともあるのかと深く考えず、落札を決心しました。私のほかにもう1名がオークションに参加していました。私は時計の秒針を確かめながら、終了時間のギリギリに相手よりも幾分か高い金額を提示し、ジルを落札しました。生後6か月を過ぎた子で、13万くらいだったと記憶しています。

同居の家族には一切知らせずの購入。変なところで楽観的な私は、ある日突然「買ってきちゃった」って連れてきてしまえば両親も苦笑いしながら受け入れるだろうと高をくくっていました。
実際のところはブリーダーからの電話連絡で迎え入れの前に家族にばれ、大目玉をくらいました…。
が、なんとか買うことの承諾を得、ジルはうちに来ることになったのでした。

道外のブリーダーから購入したため、お迎えは空港の貨物受取所でした。黄色い猫用のバスケットに入れられたジルはブルブル震えていました。帰りのJRの中でそっと覗くと、うちにいるマグとは違ったもじゃもじゃの大きな毛玉がいました。耳にはなぜかテープが巻かれています。震え続けるジル。購入当日にぺろぺろ甘えんぼ全開だったマグとは大違いです。移動で怖い思いをしたのかと思っていましたが、実はジルの闇は深かったのです。

家に連れてきても、最初しばらくはおびえて震えていることが多かったジル。
特に人間が近づくと固まり、なでようと手を伸ばすとビクッとします。ごはんをあげると吸い込むように食いつきます。(それまで遊び食いだったマグはジルの食べっぷりに刺激を受け、なんでもモリモリ食べるようになりました)常に人間の様子をうかがうそぶりを見せるジル。ワクチンはとっくに住んでいる月例でしたが、散歩もしたことがなかったに違いありません。初めて外に連れて行った日は一歩も動けず、それから散歩を楽しめるようになるにはしばらくかかりました。皮膚も弱く、小さい頃は特に湿疹や目やにが多くでました。ジルだけプレミアムフードを食べさせていた時期もあります。耳もしばらくは半立ちで、こういった事情でジルはブリーダーから手放されたのだと思います。

ジルを購入したブリーダーさんのお名前は、残念ながら昔のメールアドレスをしようしていたため今は手元にありません。正確なことは今はもうわかりませんが、ジルは虐待、もしくは飼育放棄されていたのではないか、というのが私の家族の意見です。
ジルの怯えは長く続きました。何歳になっても、知らない人が苦手でした。天真爛漫でわがままに愛情を貪るマグと違い、ジルはいつも家族の顔を見ていました。大好きだよ、ってペロペロして、呼んだらいつでも飛んできて、いつだって「好き!」ってアピールしてくれていました。私が今でパソコンや読書をすると、いつだって膝で寝たがりました。お座りや伏せ、待てもマグを見てあっという間に覚えました。おもちゃをとってこい!するのだって大好きで、いつまでも飽きずにしたがりました。ペットカットにしていたマグと対照的に、ジルはしばらくラッピングをして毛を伸ばしました。



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頭をラッピングしている時のトトロみたいな爪。これもマグとはちがったなぁ。

血統のせいか毛質はシルクのようで、顔だちも甘くかわいらしいのに、自分ではそれに気づいていないのです。甘え下手なジル。足腰も顎も強くてあっという間にマグより強くなったジル。
でもここで、家族、そしてなにより私は大きな失敗をします。


半年(以上)ぶり

すっかり更新が滞っておりました。
年明け1月末にはアレックスのセミナーでボストン上陸、茶会事件ならぬオイスターがっかり事件。
2月末にはシアトルでの学会初参戦からの日本製品爆買い、かと思ったら3月にはコロナウイルスでの急遽帰国…。日本からのテレワーク、燃え尽き症候群、我が家のわんこの闘病、再渡米、わんことの別れ等々たくさんのことが起きました。
ネタには困っていなかったのですがモチベーションが困ったちゃんでした。
今は派遣大学に戻って入るのですが、ほとんどがZOOMでの授業でおうちにいることがほとんど。。下手したら生身の人と話さないまま一日が過ぎていくので、人間らしさを忘れないためにもブログ更新頑張ります。
とはいえ、車もない缶詰め状態なので、お料理&犬のことがメインになるかもしれません…。


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